2018年、プロ野球界最年長となった中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手。
1999年のルーキーイヤーから、「死神の鎌」と呼ばれるスライダーを武器にバッターを打ち取り続けて、2018年にプロ20年目のシーズンを一軍で迎え、貴重な左の中継ぎとして中日の投手陣を支える活躍を見せています。
岩瀬仁紀投手の持つ記録や、鉄腕エピソードは後述させていただくとして、2018年に達成される可能性がある偉大な記録としては、岩瀬仁紀投手の「通算1000試合登板」です。
2017年、通算「950」試合目の登板をして、日本プロ野球記録を塗り替えた岩瀬仁紀投手。2018年5月16日の試合終了時点で、通算登板数を「966」まで伸ばしていますね。
この前人未到の大記録は…いや~、今後破られることはないでしょう。
このページでは、中日ドラゴンズの鉄人左腕で生ける伝説、岩瀬仁紀投手の2018年に達成が期待される1000試合登板の偉大さや他の不滅の記録、また、岩瀬仁紀投手の年俸推移と過去の成績を見ていきますので、楽しんでいってくださいね。
【追記9月26日】
岩瀬仁紀投手が2018年シーズンをもって現役引退を発表しましたね…。これに関しても追記していきます。
もくじ
岩瀬仁紀の年齢や結婚や永久欠番確実の背番号は?
まずは、岩瀬仁紀投手のプロフィールをチェックしましょう!
入団が1999年ですから、星野仙一監督率いる中日ドラゴンズの優勝メンバーなんですね!
よみ:いわせ ひとき
出身地:愛知県西尾市
生年月日:1974年11月10日
2018引退時年齢:43歳
身長:181センチ
体重:85キロ
投球打席:左投げ左打ち
ポジション:投手(抑え・中継ぎ)
ドラフト:1998年ドラフト2位
背番号:13(1999~2018)
出身校と経歴
・愛知県立西尾東高校
・愛知大学
・NTT東海
・中日(1999~2018)
岩瀬仁紀投手が高校・大学・社会人野球を経ての入団とは知りませんでした。プロ初登板を果たした1999年4月2日当時、年齢は24歳だったんですね。
中日ドラゴンズの背番号「13」は永久欠番間違いなしでしょう。
野球での活躍にスポットが浴びるものの結婚や子どもについての情報はあまり出ていませんが、2002年に大学時代に知り合った年上の女性と結婚されているようです。
また2004年に男の子を授かっているようで、2018年現在、中学生2年生ですね!
偉大過ぎる父の背中を追いかけて、野球をされているんでしょうか?
岩瀬仁紀の年俸推移と過去の成績は?
中日ドラゴンズの試合終盤を支え続けて約20年、生ける伝説の岩瀬仁紀投手の年俸推移と過去の主な成績や通算成績を見ていきましょう。
年齢はシーズン終了後の年齢で、2018年シーズン終了後の成績です。
年・年齢 | 登板 | 勝・敗 | セーブ | ホールド | 防御率 | 年俸 |
1999・25歳 | 65 | 10・2 | 1 | - | 1.57 | 1300万 |
2000・26歳 | 58 | 10・5 | 1 | - | 1.90 | 4200万 |
2001・27歳 | 61 | 8・3 | 0 | - | 3.30 | 8000万 |
2002・28歳 | 52 | 4・2 | 0 | - | 1.06 | 1億500万 |
2003・29歳 | 58 | 5・2 | 4 | - | 1.41 | 1億4000万 |
2004・30歳 | 60 | 2・3 | 22 | - | 2.80 | 2億 |
2005・31歳 | 60 | 1・2 | 46 | 2 | 1.88 | 2億3000万 |
2006・32歳 | 56 | 2・2 | 40 | 5 | 1.30 | 3億500万 |
2007・33歳 | 61 | 2・4 | 43 | 3 | 2.44 | 3億8000万 |
2008・34歳 | 51 | 3・3 | 36 | 5 | 2.94 | 4億3000万 |
2009・35歳 | 54 | 2・3 | 41 | 1 | 2.12 | 4億3000万 |
2010・36歳 | 54 | 1・3 | 42 | 3 | 2.25 | 4億3000万 |
2011・37歳 | 56 | 0・1 | 37 | 7 | 1.48 | 4億3000万 |
2012・38歳 | 54 | 1・3 | 33 | 6 | 2.29 | 4億5000万 |
2013・39歳 | 55 | 2・3 | 36 | 8 | 1.86 | 3億7000万円 |
2014・40歳 | 34 | 1・2 | 20 | 4 | 3.52 | 3億7000万円 |
2015・41歳 | 0 | 0・0 | 0 | 0 | - | 3億 |
2016・42歳 | 15 | 0・2 | 0 | 2 | 6.10 | 5000万 |
2017・43歳 | 50 | 3・6 | 2 | 26 | 4.79 | 5000万 |
2018・44歳 | 48 | 2・0 | 3 | 10 | 4.67 | 7500万 |
岩瀬仁紀投手の主な通算成績は以下です。
試合登板:1002(日本記録)
勝利:59
敗北:51
セーブ:407(日本記録)
ホールド:82
防御率:2.31
岩瀬仁紀投手の獲得タイトルや主な表彰は以下です。
・最優秀中継ぎ投手 3回
(99年、00年、03年)
・最多セーブ投手
(05年、06年、09年、10年、12年)
・カムバック賞(17年)
岩瀬仁紀投手が持つ日本記録は以下です。
・通算登板試合数:1002
・通算セーブ:407
・15年連続50試合登板
これらの日本記録は、今後破られることはないでしょう。
打者の鉄人が衣笠祥雄さんなら、投手の鉄人は岩瀬仁紀投手ですね!
岩瀬仁紀は1000試合登板を2018年に達成して引退?
岩瀬仁紀投手の「引退」という文字は、過去に何度か新聞を賑わせました。
落合博満監督時代の抑えの岩瀬仁紀投手の圧倒的な印象があまりにも強かったので、2012年には救援失敗を叩かれて円形脱毛症ができるほどのストレスを抱え込みました。
また、2015年は左肘(ひじ)の怪我のためプロ入り初の一軍登板なしを経験し、2016年に一軍マウンドに戻るものの自己ワーストの防御率でしたね。
打たれるたびに「引退」と言われるのはツラいものですが、それくらい岩瀬仁紀投手にかかる期待は大きいんですよね。
球界最年長となった2017年、50試合に登板し、6月には月間MVPを獲得するほどの復活を見せ、カムバック賞を受賞しました。
そんな岩瀬投手も2018年で44歳。投手コーチ兼任で契約している今季、前人未到の1000試合登板を達成して、余力を残して引退されるのではないかなという予感がします。
昨シーズン50試合登板、今シーズン46試合登板すれば、1000試合登板を達成となり、残り34試合の登板で達成ですね。
もちろん長く続けてくれることを望みますが、日本プロ野球史に残る大投手の雄姿を、じっくり噛み締めながら見ていこうと思っています。
【追記9月26日】岩瀬仁紀が引退
2018年9月26日、中日ドラゴンズの生ける伝説、岩瀬仁紀投手が2018年シーズン限りでの現役引退を発表しました。
荒木雅博選手、浅尾拓也投手も引退を発表し、落合博満政権の最強ドラゴンズを支えた選手が次々とユニフォームを脱ぎますね。
1000試合登板にあと「1」と迫っている岩瀬仁紀投手。
前人未到の記録を最後に達成して、引退への花道を飾って欲しいですね。
本当に濃い現役20年でしたね。長い間、本当にお疲れ様でした。
【追記9月28日】岩瀬仁紀が1000試合登板達成
2018年9月28日のナゴヤドームでの阪神戦で、4-3の1点リードの9回に登板し、きっちりと3つのアウトを取り、通算1000試合登板と、407セーブをあげました。
もちろん、どちらも前人未到の日本プロ野球記録です!
錆びることのない死神の鎌で、ナゴヤドームの大歓声を浴びた岩瀬仁紀投手。
まだ試合はありますから、誰も届かない領域へ、さらに記録を伸ばして欲しいですね。
→ 2018年シーズンで現役引退するプロ野球選手一覧|球団別で
→ 中日浅尾拓也が引退|2018二軍成績と過去の成績や年俸推移
→ 中日ドラゴンズの2018年の応援歌とチャンテの歌詞一覧と動画
→ 中日の2018年の年俸一覧!昨年度からの年俸の増減もチェック
まとめ
中日ドラゴンズの岩瀬仁紀投手のプロフィールや年俸推移や成績、2018年に達成が期待される1000試合登板と引退について書かせていただきました。
通算登板数、通算セーブ数もとんでもない数字なのですが、何と言っても「15年連続50試合登板」が、私的には偉大過ぎる記録だなと思いますね。
日本プロ野球史上初の50歳での登板を果たした219勝投手の山本昌さん、通算出場試合数の日本プロ野球記録「3021」を持つ谷繁元信さん、史上最年長42歳11か月で2000本安打を達成した和田一浩さん、3人ともキャリアの中盤から終盤を中日ドラゴンズで過ごしています。
(山本昌さんは生涯中日一筋)
中日ドラゴンズは選手寿命を引き延ばすノウハウを持っているのかなと、感じる今日この頃です。